いつもありがとうございます。塾長です。
本日は教科学習の話ではなく、社会に出て必要な能力の勉強についてです。
社会に出てから役立つ能力の中で、特に『この能力を持っているかいないかで他人と差がつく』という話を、高3生に対する私のAO入試対策の講義で行っていますが、その中で、この休み中に『中学生でもできる取り組み』をお話し致します。
便利な時代
インターネットの普及に伴い、スマホやパソコンで、いつ、どこにいても、あらゆる情報が入手できるようになりました。
今の中学・高校生たちは、最初に手に入れたケイタイがスマホという、『物心ついた時には既にスマホがある世代』ですから、何かわからないことがあれば、辞書を調べたり、先生や物知りに訊くということよりも『検索する』という方法を多用します。
ググる(Googleで調べる)という言葉ができるほど、それが当たり前の世界となりつつあります。
さらに、ソフトウェア開発会社ジャストシステムの調べでは、10代の男性だと情報検索にTwitterを利用する割合が47.1%と、若い世代ほど『スマホで手軽に情報収集』している実態が見えてきます。
非常に便利な世の中になったとも言えますが、この世の中で逆に、気を付けなければならないこともあります。
利便性と信頼性
それは、「必ずしも、世の中にあふれている全ての情報が正しいとは限らない。特にインターネットにおいては」ということです。
ネットの情報に較べて、書籍・出版物などの信憑性が高いのは、出版までに多くの人が関わり、情報の精査や、校正・校閲なども行うからです。
もちろん、出版物でも誤りがあったり、偏った内容が書かれることもありますが、誰でも手軽に発信できるネットよりは、少なからず手間もお金もかかっている分、慎重に行われることが多いです。
インターネットは、誰でも簡単に情報発信できますし、それがSNSなどを介して多く拡散していきますが、嘘か本当かはわからないことも多いです。
しかし、ネット上に多くの誤りがあるかもしれないとか、嘘の情報があるかどうかは、実は大きな問題ではないのです。
本当に恐ろしいこと
本当に懸念すべき問題は、どのような情報であろうとも、すぐに信じてしまう、もしくは真偽を気にしない人がたくさんいることです。
もちろん、多くのサイトでは、騙そうと思って情報を流しているわけではないでしょう。
少しでも読者、閲覧者の利益になるように情報を発信しているとは思いますが、そのサイトを見た人たちは、「果たしてこれは真実だろうか」と、いちいち確認をしている人は少ないでしょう。
少なくとも、誰かに話す、自分の意見として誰かに伝える前には、確認をするべきです。
確認することの大切さ
そのことに関して私は、AO入試の講義で毎年、現東京大学副学長(当時は教養学部長)石井洋二郎先生が、2015年3月の東京大学(教養学部)卒業式で話されたことを、引用させて頂き受講生に伝えています。
石井先生は、日本で最も有名な式辞、1964年の東京大学卒業式で当時の大河内総長が話した「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」という内容を精査し、卒業する学生たちに、「確認することの大切さ」を説きました。
この式辞の中には、少なくとも3つほど、真偽を確認しなければならない(もしくは実際はそのように話していない)点があったにも関わらず、当時のマスコミは何の疑いもなくこの式辞の内容を報道し、見聞きした人は「さすが東大の総長のお話しだ」と、嘘か本当かは関係なく一気に広まったという話でした。
また、それらを、50年以上前よりも簡単に流布させることができるネット社会において、一社会人としてきちんとした能力を持って判断し、意識を持って情報を利用・活用することも、東京大学の卒業生としてするべきだとも語りました。
無自覚なリツイート
それを伝えるのに「善意のコピペや無自覚なリツイートは、時として悪意の虚偽よりも人を惑わせる」という言葉を用いていましたが、現代人に伝わりやすい言い回しですね。
確かに人は、有益な情報があれば誰かに伝えたいと思いますし、知り合いの話を最初から疑ってかかることもしないでしょう。
皆さんも、誰かがTwitterでつぶやいた内容を、パッと読んだだけで「おもしろそう」と、何も考えずにリツイートしたことはありませんか。
しかし、これほど簡単に多くの情報が入手でき、それらを個人が拡散できる世の中だからこそ、情報を受け取る側は「嘘や間違いも大いにあり得る」と考えながら情報を整理・吟味・確認するべきなのです。
中学生でもできる取り組み
それでは、中学生が冬休みにどのようなことができるでしょう。
それは、「ネットにあった情報が、本当に正しいか、自分の手足や頭を使って調べてみる」ことです。
どのようなことでも良いですし、方法も、図書館に行く、その道の専門家に質問する(メールする、会いに行くなど)など、考えればいくらでもできます。
自分が興味を持ったことなら、なおさら熱中して調べられるでしょう。
その結果、情報が間違っていれば、あなたは自分で『間違いを見つけた』ことになります。
そして、「今まで無意識だったら気が付かなかったのに、気付いて良かった。これからは気を付けて情報を確認しよう」と考えるようになります。
調べることに意味がある
では、調べた結果が正しかったらどうでしょう。
ただ苦労しただけ、骨折り損だと思いますか。
いえ、そんなことはありません。
そこにたどり着くまでに調べたこと、苦労したことが、後々役に立つかもしれませんし、何よりその途中の過程が重要です。
今まで知らなかったことが、書物により解決しなくても、誰に尋ねればよいのか知ることができれば、次に悩んだ時の『解決方法を新たに手に入れた』ことになります。
もしかしたらこれを機会に、その事柄についてもっと知りたくなったり、大学で勉強してみたくなったり、将来なりたい職業が見えてくるかもしれません。
そもそも、そのような練習(情報が正しいかどうか、受け取った時に確認する習慣をつける練習)を中学生の時からできれば、高校→大学→社会人と進んでいく間に、より多くの『正しい知識や情報』を得、身に付けることができるのです。
寝そべってスマホをいじるのも自由、疑問を持って外に出るのも自由、ただ、将来に差がつくことと、今から鍛えれば後で得をするということを知っておいて下さい。